イサムノグチが欄干をデザイン。ヒロシマの平和大橋

2016年6月21日ニュースと考察

明日は広島に原子爆弾を投下されて70 年。
原爆ドームが建つ平和記念公園では、平和式典が開かれます。
節目の年なので、多くの平和を祈る国内外の人々が広島を訪れています。

みなさんは、広島平和記念公園の南側にある平和大橋をご存知でしょうか。

この橋は広島市街地のデルタを作る7つの流れの1つ、元安川にかかる道路橋です。
太陽に顔を向けたヒマワリの花を抽象化したような、個性的な欄干のデザイン。
デザイナーは彫刻家のイサムノグチ。

戦前、この橋は「新橋」という木の橋でしたが、1945年に原爆で被災してしまいました。
復興をめざす広島で新しい橋をかけることが決まり、その際、欄干のデザイナーに選ばれたのがイサムノグチでした。

彼が欄干をデザインするにいたったのには、自身の出自にありました。

日本とアメリカの血が流れるイサムノグチは、広島平和公園全体の設計を担当した建築家であり、公園の近くにかかる橋について「欄干だけでも公園と違和感のないものを」と建設省から相談を受けていた丹下健三氏に「広島に原子爆弾を落とした国の人間として、罪悪感を感じている。平和を共存する仕事をしたい」と話していたのです。

そういった由縁もあり、丹下氏はイサムノグチに欄干のデザインを依頼。

1952年に造られたこの橋は幅15メートルで、歩道は幅1.8メートル。
実際に歩いてみると、コンパクトな印象。

実はこの橋には兄弟がいるです。
それは平和大橋の西、本川にかかる「西平和大橋」。
この欄干もイサムノグチがデザインを担当したのですが、平和大橋ほど知られてはいません。

さて、広島市出身のファッションデザイナー、三宅一生氏は少年時代、この橋に感銘を受けたひとり。
2009年、ニューヨークタイムスに「オバマ大統領が平和大橋を渡ることができれば核兵器のない世界に向けた第一歩となる」と三宅一生のコメントが掲載されています。

■橋の新設工事が行われても、イサムノグチの欄干を生かす

実は道路橋である、平和大橋付近では交通上の問題が。
歩幅が狭いことに生じる、歩道の混雑です。
その問題を解消するため、橋の北側では歩道橋の新設工事が始まっています。

中国新聞の記事より引用します。

広島市は13日、中区の元安川に架かる平和大橋北側で、歩道橋の新設工事を始めた。彫刻家イサム・ノグチ氏(1904~88年)がデザインした橋の欄干を生かしつつ、歩道の混雑解消を図る。2018年度の完成を目指す。

市によると、歩道橋は長さ86・0メートル、幅5・7メートル。歩行者用(幅3・5メートル)と自転車用(2・0メートル)にレーンを分ける。平和大橋に接する側には欄干を設けない。反対側の欄干のデザインや路面の色合いは、工事と並行し、イサム・ノグチ日本財団(高松市)の意見を踏まえて詰める。完成後は、現在ある平和大橋の北側歩道をなくし、車道を広げる。

(中略)

市は08年度、平和大橋の北側約15メートルに歩道橋の設置を目指し、国際コンペで最優秀案を決めた。しかし、平和大橋東詰めの市道交差点の廃止を含む計画内容に地元が反対。市は予定していた11年度の着工を見送り、約4300万円を投じて作った当初計画も採用しなかった。

(2014年11月14日中国朝刊より)

「イサムノグチがデザインした欄干」ということを知らなければ、とくに足を止めることなく渡ってしまう平和大橋。
それだけ広島のシンボルである川や豊かな緑と馴染んでいるといえましょう。

そこここに旧さを感じる鉄筋コンクリートのこの橋は焼け野原となった広島が緑の美しい街となった歳月と同様、年季が入っています。
新たな歩道橋を作っても、この意匠が残るのは70年前に端を発した置き土産だからでしょう。

70年前の8月6日。
実戦で使われた世界最初の核兵器となったアメリカ軍の原子爆弾投下は、当時の広島市の人口35万人(推定)のうち9万~16万6千人もの人々を失うことになってしまいました。

明日は戦争について思いを巡らせる1日になりそうです。

最後に、原爆死没者慰霊碑に刻まれている言葉を。
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」

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