熊本地震。「待つ」こともボランティアですね

2016年5月11日ライフスタイル

先月発生した熊本地震。
ようやく、震源地の益城町に暮らす友人と電話で話せました。

益城は私が何度か滞在した、思い入れの深い町。
友人のお宅はモノが激しく壊れたり、割れたり、目もあてられないほどの散乱があったものの、家自体は大丈夫とのこと。
しかし、親戚のお宅は崩壊してしまい、近所にお住まいの高齢者の方は家屋の下敷きになって、お亡くなりになったそう。

被災直後はけっこうな数のマスコミが益城を訪れ、震災から3日間はその対応に追われていたという彼女。夜は家族と親戚と集まって車中泊、日中は避難所か自宅付近で過ごしたそう。

16日の最初の地震、19日の本震後に避難所にいると、さすがに化粧する気も起こらず、服装も着たきりで、恐怖と混乱に呆然とするしかなかったそう。

けれど、転機が訪れ、「今のままじゃいけん」と強く思ったきっかけがあったといいます。

それはある朝、避難所でちゃっちゃと元気よく鏡の前で化粧する高齢者の女性の姿を見たことから。「あ、このままではいかんばい。女性はこういう時こそキレイにして、笑っとかんと!」と思ったそう。

被災後はボランティアの人たちが避難所や自宅に来てくれたそうです。なかには県外からの人たちも。皆、「何か手伝うことはないですか?」と声をかけてくれたそうですが、「その格好で・・・」と微妙なファッションの人たちもいたらしく。

「悪いけど、帰ってくれと思った。瓦礫撤去してくれるなら話はわかるけど、いかにもスタジャンにスニーカー、手ぶらという『観光に来ました』的な格好でボランティアって言われてもね。困るのは何の防備もしていないボランティアの人たちが誤って、倒れている電線にからまったりすることよ。だって、そのせいでまた電気が点かんようになったらどうする? そうなったら町の人は皆、ますます不安になるたい」

震災発生後は停電が続き、電気が復旧した地域では灯りが町の人に安らぎになったようです。

実は今回、彼女に連絡したのは、彼女のお宅とその近所の人のために何か手伝えることはないか、と尋ねるためでした。それ次第ではすぐにでも熊本に行く気でいた私。

「今、益城に来ても、来た時の風景じゃないよ。見たらきっと悲しくなってしまう。来んほうがええ。復旧してからおいで。ボランティアの気持ちは嬉しいけど、近所の人は知らん人が来たら怖がるたい。皆、家のたて直しに必死よ」

「物資も益城にはたくさん届いて、うちにもカップラーメンがたくさんあるよ。でもね、ラーメンは3日もたてば飽きる。それに熊本の街ば行くと、もう新鮮な野菜や肉は売っとるもんね。皆、行けぱ買えるし、食べたいのは絶対そっちよ」

そのような状況をリアルに把握できないと「熊本の人たちが困っている。何か支援物資を送らなきゃ!」 と考えがちですが、現地に暮らす人の意見はまったく異なっていたりする。

彼女がいうには、もし支援物資が必要な時は仮住宅が出来てからかもしれない、と。台所用品や日常ですぐに使えるものなど、送ってもらうと喜ぶ人が多いかも。

また、ボランティアや支援物資に関する見解は、あくまで彼女の意見であり、実際はボランティアに来てほしいと思っている地域や個人のお宅もあると思います。そしてネットを見ていると情報もさまざま。支援物資は結構という情報もあるし、特定の物資を求める声もある。これはもう「縁」のある現地の人や受け入れ先の意見を聞いて判断する、というところですね。

微力でも何か手伝いたい、労働力になりたい・・・。
多くの人がそう感じていることと思います。

正直、私はそんなはやる気持ちで、熊本の友人のところに行くつもりでいました。が、現地で暮らす彼女と話したことで、実際に被災地で求められているモノゴトは私が想像していることと異なるし、今、行ったとしても価値観の押し付けにしかならない、と判断しました。

やんわりと諌めてくれた友人に感謝。

「けーこ、困った時はいつでも呼ぶし、送ってほしいものがあれば遠慮なく言うよ」と。

待つこともボランティアですね。

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