お花見は江戸時代の置き土産。徳川吉宗はレジャー改革将軍!?

2016年3月30日ライフスタイル

東京はもうそろそろ桜が満開を迎えそうです。
皆さん、お花見の予定を組まれているでしょうか。

今日は備忘録的にお花見のルーツについて。

桜は稲作信仰と強く結びついています。
山の神(稲の神でもある)は「サ神(さがみ)」と崇められ、それが桜の語源という説があります。

春になると山の神さまは田の神さまになります。
山の神さまは山から降りて来る途中、桜に宿るといわれています。

サクラの「サ」はサ神、つまり山の神さま(稲の神さま)のこと、「クラ」はサ神が宿る「座」を意味しているそう。それがサクラ(桜)の名前の由来。
よって、稲の神様が宿ることから、桜は稲作信仰と強く結びついています。

人々は「サ神」の宿る桜を神聖な木とみなし、お酒などのおそなえものをして、1年の豊穣を願いました。

ちなみにサ神こと、「サガミ」の名前は日本の地名にも関わっています。
たとえば、サガミ(相模)はズバリサガミから。「サ」の文字がつく、サド(佐渡)やサヌキ(讃岐)、サツマ(薩摩)という頭にサがつくところや、カズサ(上総)やシモウサ(下総)トサ(土佐)なども由縁のある地名だそうです。

サ神が宿るとされる桜を古から人々は崇めてきました。
桜を鑑賞の対象となったのは平安時代です。
嵯峨天皇(サ行ではじまる!)が宮中にある桜の木の下で宴を催したのがはじまりです。

これに端を発し、京都の貴族の間では「お花見」がブームになります。
さぞかし雅な宴であったことと想像します。

やがてお花見は時代とともに武士や庶民にも広がり、江戸時代になると、八代将軍徳川吉宗が隅田川の桜堤、王子の飛鳥山、品川の御殿山などを春のレジャー(お花見)の場として活用するため、桜を植えさせたのです。

お花見の場を一般に開放するという吉宗のレジャー政策は、サクラの見頃に花見客が集まることを視野に入れていました。
人々が集うことで飲食などや出し物などの消費が生じ、経済効果もバッチリだからです。
うむ。「植桜推進策」を打ち立てた徳川吉宗は、江戸のレジャー改革将軍といえるかも。

こうして東京でお花見が楽しめるのは、吉宗の桜の行楽政策、そしてサクラの下でお花見という「宴」を根付かせた江戸っ子たちのたまものなのですね。

それが江戸から、明治、大正、昭和、平成と連綿と続いている。。。

改めて、私たちは古の人たちの「レジャー遺産」というべき置き土産のお花見の楽しみを受け継いでいるのだなぁと思います。

話は変わりますが、満開の桜の花びらが舞い散る頃になったら、ぜひ、桜吹雪を浴びてください。
厄落としになるそうですから。

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