簡単なセルフ占い!? 外応をヒントに使ってみる
写真は京都・晴明神社の境内にある一条戻り橋のミニチュア。
夢枕獏の小説や岡野玲子の漫画、そして野村萬斎が映画で演じたことでも知られる陰陽師の安倍晴明とも縁の深い一条戻り橋。
現在の一条戻り橋は晴明神社から南へ100メートルのところにある堀川に平成7年に架け替えられたもので、晴明神社の境内にあるミニチュア版には、架け替える前の橋の欄干の真柱が使われています。
さて、一条戻り橋はかつて「橋占い」がさかんに行われていた場所でした。
橋占いとは橋のたもとで行われる、辻占いの一種。
辻とは、十字路のことです。
橋占いの方法は、自分自身が知りたい答えを胸の内に問い、橋を往来するの人たちの話している会話や態度に求めるというもの。
橋のたもとに立ってから3組目に通りすぎていった人の言動が答えを授けてくれると考えられていました。
それがオラクル(託宣)と信じられていたのです。
たとえば、恋人が旅先から無事に戻ってくるだろうか?という問い。
そのことを心に問うた後、3組目の人たちが
◯談笑しながら通りすぎていった→何事もなく良い知らせとともに帰ってくる。
◯突然、くしゃみをする→身体が弱っているかも。
◯「おなかすいたね」と話しながら歩いてくる→金銭が不足している。
といった感じで占うわけです。※あくまで自己判断ですが。
なお、判断がつかない場合は「今は占う(答えを知る)べきでない」という判断となります。
これは「外応」という占い方に似ています。
外応は何か知りたいことを自分の心に問い、その瞬間、周囲に起こったこと(見えるもの、聞くものなど、五感に訴えてくるものごと)をとらえ、未来を占う方法。
シンクロニシティというのでしょーか。実にLIVEな占術。
いにしえの一条戻り橋で、いにしえの人々はどんなことを占ったのでしょうか。
■一条戻り橋にまつわるエトセトラ
さて、備忘録もかねて一条戻り橋についてふれておきましょう。
現在も、堀川に架かっている一条戻り橋の下には陰陽師の安倍晴明が預言や占いの時に使っていた「式神(十二神将)」が潜んでいたといわれます。(実際、橋の架け替え工事をする際、占いや祈祷に用いる紙の人がたが出てきたとか!)
なぜ橋の下に?
実は安倍晴明の奥様が式神が屋敷内にいるのを嫌がったという説や式神のビジュアルがあまりにも醜いので顔を合わせたくなかったという説も。
そんなわけで安倍晴明は奥様に気を遣い、式神を屋敷ではなく、一条戻り橋の下に住まわせたようです。
ちなみに安倍晴明が一条通り(平安京の最も北の通り。都の鬼門にあたる)に住んだのは鬼門を守護するためでした。
平安中期には、源頼光の家来である渡辺綱が夜中、戻り橋で美女に化けた鬼と出会い連れ去られたものの、鬼の腕を切り落として逃げた。
その後、腕は綱の家に置かれていたけれど、その後、鬼は綱の義母に化けて、腕を取り返しに戻ってきたという伝承も。
怖っ!(;_;)
さらにこんなおどろおどろしい話も。
安土桃山時代のこと。
豊臣秀吉の聚楽城内に屋敷を構えていた茶人の千利休は自害した後、一条戻り橋にその首がさらされたそう。
なお、千利休の最後の一服は、晴明神社の境内にある晴明井(井戸、現在もある)の水で点てたといわれています。
また、京都では結婚前の女性は実家に「戻って」はならん、ということから、この橋を渡らないようにしているそうです。
結婚前の方は用心されたし!