マーケティングという言葉がマーケティングを難しくさせている!?
会社に勤めていた頃。
ある時、営業部の人たちが「マーケティング」について話していた。
市場調査とか、動向・傾向の分析、4Pという言葉がひんぱんに飛び出し、何やら深妙な顔をして。
なかには「マーケティングに頼りするのはちょっと・・・」という人も。←直感を信じようということを言いたかったようだ。
そして結論は、マーケティングこそ仕事の命、これをやらないとうまくいかない!という考えにいたったようだ。
マーケティングという言葉はよく耳にするし、何かを調査・分析した後の報告では「マーケティングした結果」などと使う。
マーケティングって言葉を耳にするたび、「マーケティング」という言葉を使わずにいたら、もっと話も親しみやすくなるのになぁと感じてしまう。
その実体は
お客さんと世間話をしながら、最近考えていることや売れ筋の商品の情報をおしえてもらう。
もうかってまっか~?おたく、どんだけ売れた? と聞いて答えてもらう。
どうやってこの商品の売り上げを伸ばしました?と「売れる仕組み」と「ターゲットにした客層」について尋ね、いろいろおしえてもらう。
です。
要はマーケティング=お客さんとのコミュニケーション。
実は営業マンなら誰でもやっているお客様との交流がマーケティングなのだ。
マーケティングという言葉は便利だし、インテリジェンスただよう響きをもってるから、使うとちょっぴりデキる人に見せてくれる。
■実際に「見る」「聞く」「感じる」が本質
その昔、ポップアートの騎手と呼ばれたアンディ・ウォーホル(故人)の代表作に『キャンベルのスープ缶』(1962年)がある。
あのズラリと並んだキャンベルスープ缶の作品は1度は見たことがあるでしょう。
それをAさんが見てこう言った。
「あの作品のおかげでキャンベルスープは爆発的に売れただろう」
一方、Bさんは言った。
「アンディ・ウォーホルにあの作品を作らせた、キャンベルスープの缶のデザインとそれらを積み上げて陳列したお店の人のセンスが素晴らしい」
売れる仕組み=マーケティングであるから、スープ缶のデザインとそれらを陳列した人たちのセンスが売れる要因を作ったというわけだ。(これはマーチャンダイジング寄りの話だけど)
そのセンスにインスパイアされて、作品を制作したのがアンディ・ウォーホル。
ウォーホルがキャンベルのスープ缶を題材に用いたことについて諸説ある。
NYはマンハッタンのアッパー・イースト・サイドのラトー・アート・ギャラリーオーナー、ミュリエル・ラトーが「毎日、見るもので誰もがわかるものを描いては」というすすめにより、ウォーホル自らスーパーでキャンベルスープを買い求めたという話もある。
くわしい経緯はわからないけど、イヴ・サンローランとも交流のあった、ヅラを愛用する芸術家がスーパーでディスプレイされたキャンベルスープ缶を見たことで制作につながったとしたら、缶のデザインと陳列方法が意味をもつ。
その陳列を実際に「見る」行為もマーケティングの範疇。
ウォーホルは作品の題材を求め、スーパーマーケットに行ってマーケティングしてました、とは思っていなかっただろう。
こんなふうにマーケティングは、意識的もしくは無意識的にいたるところで行われている。
その本質は実際に「見いた」「聞いた」「感じた」ってこと。
だけど、ずばりと「見た」「聞いた」って言っちゃうと、なんか照れくさい~、言葉が直接的的すぎてこっぱずか~と思ってしまうんだろうな。「感じた」なんて言葉はあまり歓迎されなさそーな気配もある。とくに「会議」と名のつく席では。