「鬼太郎の生みの親」漫画家・水木しげる先生、永遠なれ!

2015年12月2日ニュースと考察

11月30日、水木しげる先生がご帰星されたというニュースが飛び込んできました。

鬼太郎、目玉のおやじ、猫娘、ねずみ男・・・水木先生が描かれた妖怪キャラクターを愛好していた者にとっては、その生みの親がお亡くなりになったことを寂しく思います

 「ゲゲゲの鬼太郎」や「悪魔くん」で知られる漫画家・水木しげるさんが30日午前、都内の病院で亡    くなりました。水木さんは11月11日、調布市内の自宅で転倒し、頭を打って入院していました。93歳でした。

 警視庁などによりますと、漫画家の水木しげるさんが30日午前、都内の病院で亡くなりました。93歳でした。死因は多臓器不全だということです。水木さんは11月11日、調布市内の自宅で転倒し、頭を打って入院していました。

(中略)

 1993年、鳥取県境港市に鬼太郎や妖怪のブロンズ像を並べた「水木しげるロード」ができ、人気の観光スポットになっています。また、太平洋戦争末期に、激戦地パプアニューギニアのラバウルに送られ、マラリアに苦しみ米軍の爆撃で左腕を失いました。自らの戦争体験を反映させた作品も数多く発表しています。

TBS系(JNN) 11月30日(月)16時27分配信より

一度、水木先生に取材でお会いしたことがあります。
2008年ぐらいのことだったか。
お住まいの調布で、先生が従軍されたラバウルでの体験や南国のジャングル―原住民トライ族とのふれあいや闇の中にまぎれこんだかのような深い緑の中での不思議な出来事―をうかがいました。

ラバウルでは、敵から追われた森の中で、闇にふれたら、溶けかけたコールタールのような感触で、前に進めなく5分間ぐらい格闘したことがある。
それは道をふさぐ妖怪「ぬりかべ」のシワザだったのでは…?そう後になって気がついたと、先生。

植物を愛され、自宅のあちこちにゴムの木を置いていること。
そしてお好きな木はカポックで、事務所のベランダにカポックのジャングルを作ろう!と、いつも家族に提案しているというお話も。

かつて、水木先生ゆかりの地である鳥取県境港市に旅した時は「水木しげるロード」を歩いたことがあります。
このロードが出来て間もない頃のこと。
先生の生んだ妖怪キャラクターのオブジェ(ブロンズ像)が道のあちこちに配され、「あ、ここに猫娘!」「鬼太郎だわー!」などと、妖怪オブジェ巡りをする人がたくさん。

余談ですが、その境港で妖怪オブジェとともに忘れられないのはランチで食べたエビフライ。
境港港に水揚げされた、日本海うまれのエビのおいしかったこと!

ちょうど訪れた頃、境港では「世界妖怪会議」なるものが開かれる予定だと聞きました。
(たしか第1回目の開催。京極夏彦さんたちが参加されていた。行きたかった~!)

その後、妖怪オブジェを盗むというケシカラン輩もあらわれたりして、盗難事件がたびたび起こることが報道されていたのを思い出します。
ご帰星のニュースを知り、そのような水木しげる先生にまつわる思い出をしばし回顧…

水木しげる先生が世に送り出した漫画やアニメ、そして個性的なキャラクターたちよ、永遠なれ!

残された者ができることは、先生が夜に送り出した、妖怪世界が繰り広げる「娯楽」のバトンを手渡していくことかな、と。