自分にとっての「いいこと」を伝える時、無我夢中になりすぎると・・・
先日。友人たちと「誰かに、自分がいいと思ったことを伝える時の姿を客観視したらどんな感じかしら?」という話になりました。
「意外と自分の姿を俯瞰して見ていないかもー」と皆で話し、そのときに気づいたことなどシェアしたいと思います。
たとえば「絶対いい!」と思ったことがあるとします。
自分が絶対いいと思うから、友人知人に伝えたくなりますよね。
それは健康だったり、思想的なことだったり、ジャンルはさまざま。
伝える方は「これって、絶対にいいから、今すぐ取り入れた方がいい!やった方がいい!」などと言います(すすめます)。
しかし、別人の目線で見ると、その時の自分ってどんな感じだろう?
「絶対にいい!」から伝えたい、そのなりふりまわずな姿=「無我夢中」かも。。。
その「絶対にいい」ことを盲信している状態だから、「けっこうなりふりかまわず伝えることに命をかけてるような気がする・・・」と友人A。
うん、たしかに!
そして、「自分がいいと思っていることを盲信している人から伝えられた方は、けっこうドン引きしてたりしてねー」という話になると、皆「・・・」。うっっっ実は私も思い当たる節アリ!
つまり、自分にとっての「いいこと」は、それを必要としない人と求めている人、両方がいるかもしれないってことですよね。
私たちは「自分にとっては『いいこと』でも、なかには必要としない人もいるってことを心のかたすみに置いておくことだよね」という結論に達しました。
求めている人にとってはベストマッチングで喜ばれるでしょうが、その一方、必要としていない人にたいして、盲信状態で「こんなにいいことを知らないの?今すぐやった方がいいよ。じゃないと」という態度をとっていると、何が起こるかというと・・・、
「暑苦しさ」を感じさせちゃう!
やがてそれは、その人にたいする「不信感」に変わり、関係が少しずつ変わっていってしまうことになるかも。
この話題を切り出した友人Aは仕事で知り合ったある人から「いい話」を会うたびに聞かされていました。最近、なんとなく、その人物との距離感がビミョーになってきて、その人のことは嫌いではないのに、どうしたものだか、という状況にありました。
で、その正体は、自分が求めていないことを無我夢中にすすめてくる「暑苦しさ」(価値観の押し付け、強要)にあったとわかり、けっこうスッキリしていました。
自分が「よい」と思ったことは他の人にとっては必要のないことかもしれない。
ということを前提に、自分の言動を俯瞰する目を養いたいものですね。
介護の現場では、高齢者、同世代、先輩、後輩など、多世代の人周囲にいらっしゃることでしょう。
たくさんの人たちに何かを伝える場合、価値観の押し付けになっていないかどーか、客観視できることを心に留めておいていただけると、人とのつながりがより良好になるかもです。
皆さんがなごやかなムードで、必要な人に「いいこと」を届けられますように(^o^)