お好み焼きも! 広島土砂災害復興交流館「モンドラゴン」へ

2016年10月14日ライフスタイル

広島土砂災害復興交流館「モンドラゴン」へ行ってきました。

広島土砂災害は2014年8月に広島市安佐南区で発生。
77人の犠牲者、家屋の被害は4749戸(全半壊396戸)にのぼりました。
広島市は被災者に公営住宅や民間の借り上げ住宅を無償で提供し、最も多い時で262世帯が入居。
(2016年8 月1日の時点で36世帯で、先月末で終了)

しかし、罹災証明をもつ4379世帯のうち、870世帯は別の場所で暮らしていて、被災地の人口はまだ回復していない状況といえます。
そんななか、広島市内に所用で行った際、今年4月にオープンした復興交流館「モンドラゴン」へ足をのばしてみました。

広島市安佐南区のJR梅林駅で下車。

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駅から向かう途中、町の人にモンドラゴンへの道のりを尋ねたところ、八木用水の脇の道を歩くことをすすめられたので、静かな水辺の道を通ってみました。

広島・八木用水

2年前、豪雨により、大量の土砂が流れ出した阿武山のふもとに建てられた、プレハブ平屋建ての交流館は床面積が約33平方メートル。
土砂災害の被害を語り伝える場として、現在も被災地で暮らす人たちや、被災後にこの地を離れた人たちが集う場所として作られました。

 

この土地は交流館の館長を務める自治会長の方が提供。
建物の建設費は寄付金、広島市の助成金のほか、そしてクラウドファンディングサイトを通じて、資金を募ったそう。

館内には詳しい被災状況や復興していく様子がわかるパネルや写真、防災マップなどが壁を占め、その奥にはお好み焼きを焼く鉄板も。

そう。ここでは、広島人のソウルフード「お好み焼き」を食べることができるのです。

なぜ、お好み焼き?
広島の名物だから?と容易に想像できますが、やはり広島人にはお好み焼きなのだ! と実感した話が聞けました。

それは偶然、モンドラゴンに居合わせ、当時の様子をパネルや写真を見ながら説明してくださった方によるこんなお話。

その方のご家族は被災して以降、何も食べられなくなったそう。
しかし、食欲がなくなっても、唯一食べられたのは、子どもの頃から親しんできたお好み焼き。

「不思議とお好み焼きだけは食べることができたんよねぇ。お好み焼きは人のこころを和ませることができると思いましたよ。じゃけえ、ここでも皆でお好み焼きを食べながら、いろんな話ができたらええねと思って」

その土地に親しんでいる食べものは人の心を癒すチカラがある。
1945年の原爆投下から復興をめざした広島で、安くてカサがあり、ボリュームのあるキャベツを使ったお好み焼きが誕生した話を思い出してしまった。
奇しくもお好み焼きは復興をめざして立ち上がる人を支えている・・・。

交流館でお話をうかがい、興味深かったのが、広島市が推進する「協同労働」という新しい働き方。
カンタンに説明すると、高齢者が地域の課題を地域資源を生かしながら「ビジネス」として取り組むこと。

モンドラゴンの例でいえば、お好み焼きを販売することで、被災された方に働く場所を提供するということになるのだろう。
実際、お好み焼きを焼くのは被災された女性数名が当番制で担当されている。

お好み焼きを食していた時、 テイクアウトのお好み焼きを取りに来られた地元の人と思しき女性が、「うどんの肉玉」(広島人はうどんと豚バラ肉、卵入りのお好み焼きをこう言って頼む)にヘラを使って食べている私に「どうぞ、ごゆっくり!」と明るく声をかけてくださった。

後で、その女性も被災者であり、別の曜日にお好み焼きを焼かれている方だと知る。この交流館は被災者の方の馴染みとなっている場所であることを感じた次第。

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モンドラゴンには広島県知事もフラッといらっしゃたり、他県からも被災の傷痕の慰霊に訪れる方も。

長くなるので続きます。

協同労働については 広島市「市民と市政」のこの記事がわかりやすいと思います。

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