認知症の「エブリデイ大晦日」

食べもの

これはエビチリの写真。今回の記事に登場するおばの夫の得意料理だ。

認知症を長く患っている80歳のおばが転倒して骨折したというので、お見舞いに行ってきました。
私は幼い頃、このおばの娘になりたいと本気で思っていた。
それほど、彼女を敬愛している。

おそらく、私のことはわからないだろーな、と病室に入ったら、彼女は「おたく、どちらさん?」と言わんばかりの顔でジッと見ている。
「わかる?」と聞くと「わかりません」。

やはり。
私の名前、そして彼女の弟の娘であることを告げると、「ああ、ああ」と思い出した様子。
ε-(´∀`*)ホッ

昨年のこと。
私の父(おばの弟)の法要の際、おばも来てくれたのですが、法要の食事の後、一緒にお散歩に出かけたです。
町の駅に併設しているギャラリーで、おばが昔育った頃の写真が展示されているので、見に行きましょう、と。

おばと誘ってふたりで腕を組んで駅まで歩いて行く道すがら、おばがふと、私の方を見てこう言いました。
「おたく、どちらから来られてるの?」

ありゃりゃ。さっきまでうちの家族と一緒に食事して、私の名前も呼んでくれてたのに・・・。

私「東京なんです」
おば「あら、そうなの。私の姪も東京にいるのよ」

自分の姪が東京に暮らしているってことは、わかっていた。その点は安堵。

認知症の人は昔、体験したことをよく覚えていたり、長年の習慣の手順などは問題なくこなせますが、数分前、あるいは数秒前のことはきれいさっぱり忘れてしまうのが特徴。このおばも同様。

やはり、周囲の理解と協力のもと、話をそれなりに合わせたり、スルーしてあげるのがよいのでしょうかね。

そして、今となっては笑い話となっているのが、おばの巻き起こした「エブリデイ大晦日」事件。

いとこ(おばの娘、二世帯住宅で暮らしている)に言わせれば、おばにとっては毎日が大晦日なんだと。
というのも、毎晩おばは娘の住まいに行き、「元旦の鏡餅はもう備えた?」と尋ねるのが日課になっていた。

大晦日に何か深い思い出があるのだろーか?
と家族はいぶかしがるものの、エブリデイ大晦日の決定的な要因は見つからない。

毎晩、毎晩、お餅のことを尋ねてくるので、いとこの方が「さっき、お餅を備えてきたよ」と先手を打つようになった。
すると、おばは安心する。
そのうち、鏡餅について何も聞いてこなくなった。
こうして、「エブリデイ大晦日」事件は少しずつ、影がうすくなっていったのだ。

話を戻します。
おばとふたりで駅に到着すると、ところどころ黄ばんだモノクロームの古い写真を見てまわった。
「ああ、ここは◯◯さんのとこ」「これは▲▲山の◯◯という展望台から見たながめ」など、次々に解説してくれる。
おばは昔のことをよく覚えていました。

私の母もこの土地に嫁いできた身だから、おばや父が少年時代を過ごした頃の町のことは知らない。
町の記憶をたどれる生き字引は、このおばだけなのだ。
そう思うと、一字一句を聞きもらしたくなく、おばの話すことに真剣に耳をすました。

かつて、おばがわざわざ私に書いてくれたものがある。
それは私が生まれる前の、私の生家の間取り図。
10年ぐらい前、私が書いてほしいとお願いしたのだ。

まだ、多くの家に土間があった頃だ。
土間にはおくどさんがあり、ポンプの井戸水もあった。

仏壇をまつっている、畳の部屋では、新年になると、家族と親戚10人位が集まり、左右に源平(源氏と平氏)に分かれ、百人一首やかるたとりを楽しんだという。
「一番強かったのはF子さんだった」
家の間取り図を書きながら、おばは戦前・戦中の頃の古のかるた大会を思い出しながら、懐かしそうな表情を見せていたっけ。
間取り図を書いてくれた、その頃は認知症のかけらもなく、元気で、高校の同窓会にも喜んで出かけていたおば。

偶然にも、私の親友の父親は、おばと高校の同級生だ。
ふたりは同窓会で顔を合わせると「うちの姪はおたくの娘さんにいつも仲良くしてもらっていて」とか「おたくの姪っ子さんとうちの娘はこの前一緒にソウルに旅して…」と、会うとまず私と親友のことを話すのが定例のようになっていたという。

「おばちゃんらは面白いでしょ。同窓会でTさん(親友の父)に会うと、いつもあなたのことから会話がはじまるのよ」
そう言いながら、嬉しそうに言っていた。

同窓会へ行かなくなった理由について、おばはこう言ったことがある。
「皆の集まる場所でヘンなことを言ったらいやだから、いつも黙っているの。うなづくだけ。けれど、それは楽しくない。だから同窓会に行かないことにした」

けっこう手厳しく、モノゴトをピシャリという娘2人に「ボケるな」と言われ続けた末のことかもしれない。
認知症の初期に見られることらしいが、自分の記憶力が低下していることを自覚できることもあり、これからの自分に不安を感じることがあるという。それかな?

同窓会に行かなくなったと同時に外出する機会も減った。
買い物にも行かないし、目の前の公園で大規模なお祭りをしているのに、家族が連れだそうとしても出かけようとしなくなった。

さて、このおばにとって幸せなのは、おばの夫がとても理解のある、やさしい人であること。
おばが意味不明なことを皆の前で言っても「おもしろいことを言うね~」と笑っていてくれる。
身内は「また~!?」とイライラしがちだけど、このおじはまったくそういうところがない。

ある時、おばがいない時にこっそり話してくれたことがある。
「認知症の発言というのは、なかなか毎日がおもしろいで」
「家の外に徘徊するわけでもないし。おとなしいので助かっている」
はい。余裕でございます。

それがどれほど、皆にとってこころ強いか!
認知症というと身内は深刻に考えがちだけど、理解のあるおじがいるので、めったに会えない私も安心していられる。

加えて、おじは定年退職してから、どういうわけか料理が趣味になった。
「男の手料理」らしく、豪快に材量を使い、わりあい濃く味付ける。
私が遊びに行くとたいてい、おじが台所に立っている。
得意料理はエビチリ、エビと豚肉のしょうゆいため。

おばは食事の際にお茶を入れるぐらい。
夫の作った食事が目の前に運ばれてくると、穏やかにいただいている。
おじはその傍らで黙って自分の作った料理を口に運びながら、時折妻の様子を気にかけている。

おばはつくづく幸せな人だなと思う。