人生が変わる!?心屋仁之助さんの「存在給」という概念

2016年5月12日本の紹介

人気の心理カウンセラー、心屋仁之助さんが今年1月に出版された「一生お金に困らない生き方」が面白かったのでご紹介します。

存在給というのは、その人が生きているだけで発生するお金(報酬、収入、豊かさ)。
働かなくても、寝ていても、入ってくるお金です。
ただし、この存在給。自分でその値段を決められるのがポイントです。

自分で値段を決めるというのは、自分にどれだけ価値があるのかを認めること。
それは自分を大切にして生きているのかどーかのバロメーターと言ってもよいでしょう。

ふーむ。「存在給」なんて概念、今まで考えたこともなかったです。
収入=労働
働かざるもの食うべからず。
それが当たり前だと思っていましたもの。
心屋さんに言わせると、これは「歩合給」の考え方なんだそう。

人生における歩合給は、がんばって手に入れるもの。
働いてお給料をもらう。働かないと食えない。だから、がんばってがんばって労働して、賃金をもらう。
労働の対価というわけですね。

一方、存在給は自分が生きているだけで入ってくるもの。
自分に価値があると信じる(信じてみようと思う)ことで、お金が入ってくるようになる。自分にはお金に愛される価値があると当たり前に思えるようになると、ますますお金がお金をよび、入ってくる。

心屋さんは言います。

自分の「存在給」が低い人ほど
価値を提供して、役に立とうと、がんばって、収入をあげようとする。
そして、それが実現できないと落ち込む。
だから、イヤな仕事についてもあくせく働き続ける。(歩合給の考え方)

こんな状態では、存在給が入ってくる余地がない、ということですね。

■お金はたんなるダミー。本当は自分の価値を認めるってこと

「でもさ。働かないとお金って入ってこないじゃん」

多くの人はそう言うでしょう。←私です^^;

けれど、実はそう「信じているだけ」と心屋さん。
「働かざるもの食うべからず」教を長く信じているから、自分の価値を認める存在給が発生しにくい。

働いていても働いていなくても、存在給をちゃんと受け取っている人はいます。この本を読み終え、思い出した返のですが、私の友人にも存在給らしきものをちゃんと受け取っていた人がいました。彼女はお給料をもらっていましたが、毎月お金を振り込んでくれる親戚がいるのだと。

「それはそのお金持ちの親戚がばっちり稼いでいるから、お小遣いをたっぷりもらえてるのでしょ?」

という声も聞こえてきそうですが、たしかに彼女はそうでした。「社会人だから他人からお金をもらってはいけない」ナンテ微塵にも思ってなく、ありがたく受け取っていました。

私からすると、「えっ社会人になっても毎月お小遣いもらうんだ!しかも親戚から!」とビックリでしたが、 今思うと、彼女は存在給の考え方を自然に取り入れている人だったんですよね。

「毎月、これだけもらって当然」
というふうに。
つまり、「信じていること」が歩合給派とは異なっていたワケですね。

そーいえば、私の周囲のお金持ちの人。。。あくせく働いていないし、お金持ちの奥様はたいがい「労働」をしていない。そしてお金持ちの人はたいてい人を喜ばすために大枚をはたく。主には食事で。

ところで、収入を増やす方法はいろいろありますね。

不動産所有などの不労所得、資産運用、副業、より給料のいい会社への転職など。
けれど、なによりも重要なのは「自分の価値を信じて、上げること」なんですね。

心屋さんご自身が、この存在給に気づかれた以降は、

●仕事を減らした(京都を本拠とされているのですが、以前は東京に出かけてセミナーを開催されていた)

●人の役に立つことをやめた(昔は無料セミナーを開催されていたのですが、これでは皆が存在給に気がつかないと思われ、有料セミナーに切り替える。お金がある人が出すのではなく、お金がない人こそお金を出さないといけない、という思い。そしてパーソナルなカウンセリングはやめられ、公開カウンセリング式で歌も披露される)

そうすることで、収入が上がっていったそうです。

ちなみに、公開カウンセリングは「受けている本人よりも見ている人の方が効果がある」ということから採用されたそうです。
これ、わかります!
出演されていたテレビ番組『ナイナイアンサー』で心屋さんが有名人にかける、コメントを聞くだけでジワッときたことが何度もありますもの。とくにホリエモンが登場した回。

思うに、心屋さんの『一生お金に困らない生き方』はお金をテーマに書かれていますが、お金や収入の恐怖はたんなるダミーで、その恐怖の本質にあるのは「自分には価値がない」ってことなのでは。

つまり「自分を大切にしようよ」「価値があることに気がつこうぜ!」ということに、もういい加減気がつきましょうよ、と。゛

収入はそのことを実施している人に「もれなくついてきます」的な性質があるようです。

■神社ミッションはご利益をねらうものじゃない

お金がほしいけど、出したくない。
自分よりお金をもっている人に(自分の分も)出してほしい。
だって、自分のお金を使ったら減るもん(ヘルモン)。

長い間、ヘルモンが分泌されつづけたせいで、「使うと減る」が身についてしまうと、
自分に価値があることが信じられず、価値=収入にも気がつけない。

本当は価値があるのに、気がつかないようにするのが、
ヘルモン! おそるべし!

そんなヘルモンが引き起こす「執着」を手放したいときには有効な方法があります。
それが「神社ミッション」。

これは、さびれた神社(ご利益が期待できなさそーな感じの、社務所に人がいなかったり、境内がお掃除されていなかったり、の)にお参りし、お賽銭箱に1万円を入れるというアクション。
「喜捨」の考え方に似ているよーな気がします。

さびれた神社のお賽銭に1万円! 誰ができるかっ!?

今、そんな声が聞こえてきましたぜ(^_^;)
かくいう私も実際、抵抗あります。

この神社ミッションは、さびれた場所で、先にお金を払い、お金の執着を手放すのが目的。
何の意図もなく、ただ1万円を入れる。

すると、大切にしていた1万円を神社にあげちゃったけど、実際には何も失うものはないことが気がつくわけです。 「お金がない」が口癖の自分は、出せるお金が「ない」と思っていたけど、実は出せるお金が「ある」んだな。

その効果は…とてつもないのだそうです。
精神面だけではなく、物質面にもかなりの効果が。

とはいえ、私はお賽銭箱に1万円を入れると思うと心臓がバクバクしてしまいます。
けれど、ちょっとだけやってもいいかも!?という気持ちにもなっています。

実は私、この神社ミッションについてカン違いしていました。
神社ミッション=お金が入ってくるためにやる魔法のアクション(ご利益)と思っていました。

が、そうではない!

前述したようにお金がないという恐怖はダミーで、その奥底にある「自分にはちゃんと出せるお金が(世の中にまわせる豊かさが)あるんだ」ってことに気がつくための行動が神社ミッションなんじゃないかなーと思うのです。

さびれた神社のお賽銭箱に1万円入れた→ミッションコンプリートッ! 私って実は「持ってる」じゃん→これは「持ってる」から出来たのだわ!→ひゃだ! 「(出せるお金なんか)ない」と思っていたのに実は「(出せるお金が)ある」んだ!

実は出せるお金があった。 すると、なんだかわからないけれど、お金がどこかから入ってくる。
気がつくとヘルモン分泌量も少なくなり、豊かさを味わえていた。

という流れかな、と。

「ある」と「ない」の前に、「出せるお金が」とか「世の中にまわせる豊かさが」という言葉をつけてみると、神社ミッションがよりわかりやすくなるような気がします。

あー。神社ミッションを「お金が入ってくるご利益アクション」なんて思っている間に、さびれた神社を見つけなくてよかった、よかった。
神社ミッションを行ったあかつきには、このサイトでご報告することにしましょう。

心屋さんのこの本を読むと、お金、そして自分の価値にたいする概念がガラリと変わります。
Kindle版もあり。

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