広島の原爆忌。慰霊を感じる広島市街地の川
今日は広島に原爆が投下されて71年目の8月6日。
かつて焼け野原となった広島市内ですが、今では川と緑がたくさん。
初めて広島にいらした方はその豊かさに驚かれます。
71年前。 被爆した人たちは「水を」「水を」と、水を求める声にあふれていたといいます。
これは私が昔から両親や先生から聞かされていたこと。
被爆してやけどを負い、身体の芯から熱くて熱くてたまらなかったのでしょう。
水を求める声もそうですが、火の海のなかで熱気を全身に受けるあまり、川に飛び込む人も多かったと聞いています。
昭和ヒトケタ生まれの人によると、その昔、広島市街地に流れる京橋川(と記憶している)では夏になると川で泳ぐ子どもたちもいたそう。
当時は砂もキレイで夏になると川は子どもたちにとって絶好のあそび場だったそうです。
今では考えられない風景が昔は在ったのですね。
広島市街地を流れる川の間は橋が渡され、その1つにはイサムノグチ氏が欄干をデザインした平和大橋も。
71年前、被爆した人に寄り添うように流れていた広島の川。
穏やかな川面をみせる市街地の川べりを歩いていると、8月6日という広島の人にとって忘れられない1日と、川で遊んでいた昔の子どもたちのことを思ってしまいます。
とくに今日という日は。
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