3月31日はエッフェル塔の日。最初は理解されなくても未来は・・・

2016年4月6日ライフスタイル

3月31日はパリのランドマークとして知られるエッフェル塔の日です。
1899(明治22)年のこの日に、落成式が行われました。

今をときめく仏人ダンサー、ヤニス・マーシャルのダンス動画にも登場するエッフェル塔はシャン・ド・マルスの広場に立ち、建設当時の高さは312.3メートル。
フランス革命100周年を記念し、第4回万国博覧会の開催に合わせて建設されたこの鉄塔。当初はパリの人々、とくに芸術家たちから大不評だったそうです。

小説家モーパッサンもその1人で、エッフェル塔が見えない場所で「ここでの食事は最高。(エッフェル塔を)見ないですむ場所だから」と言い放ったとか。

前々世紀末のこの時代は、石の建築が主流。
「鉄製の無機的な円柱が景観を壊す」と見なされ、パリ市にはエッフェル塔にたいする抗議文が送られてきたこともあるそうです。

建築物にたいする思いは時代を経て変わるのでしょう。『二度目のパリ 歴史歩き』の著者ジョン・バクスターはこう書いています。

フランス革命以前につくられた史跡とは異なり、19世紀や20世紀につくられた有名建築物は、視界の開けた場所にドラマチックな効果を狙って建てられている。

当初は非難轟々だったエッフェル塔を設計したのはフランスの食の都ディジョン出身のギュスターヴ・エッフェル。彼は政府主催のコンペで仕事を勝ち取りました。

当初は20年の期限付きだったエッフェル塔ですが、非難をものともせず、今ではパリのシンボルとして君臨しているから、どこでどう評価されるかわからないのが、運命のオモシロイところ。

ところで、人生には4つの坂があるといいます。
上り坂。下り坂。まさか。まっさかさま。

エッフェル塔の場合は「まさか」時代を経て、世界の誰もが知る「パリの顔」に。
建造当時、塔を非難していた人はこのこと想像したでしょうか。
世界からたくさんの人がこの鉄塔にのぼることになると誰が想像したでしょうか。

ちなみに、設計したエッフェルはパリの老舗デパートのボンマルシェの設計施工、メトロのリヨン駅の設計も担当しています。
そして、エッフェル塔の仕事を終えた後は、ニューヨークに贈られた自由の女神像の設計にフレデリック・オーギュスト・バルトルディとともに関わります。

登場した当時はまったく理解されない、関心を示されないモノゴトでも、後々にはファンができたり、より知りたい、広めたいという人が現れたり、なぜかわからないけど世の中の状況が変わったりで、評価や見方が180度変わることは珍しい話ではありません。

それはもう、人智ではジャッジできないこと。

ならば、誰に何を言われようとも自分の好きなことをやるのが一番。
エッフェル塔がそう物語っています。

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