建築家ザハ・ハディド永眠。世界に残された作品、永遠なれ!

2016年4月7日ニュースと考察

3月31日、建築家ザハ・ハディド死去という大変ショッキングなニュースが飛び込んできました。
気管支炎の治療を受けていたマイアミの病院で心臓発作でお亡くなりになったそうです。

2020年開催の東京オリンピック・メイン会場になる予定の新国立競技場の設計コンペに勝ち抜いたものの(2012年)、昨年、日本政府によって白紙に戻されたことは記憶に新しいところ。

二度目のコンペ開催で建築家の隈研吾、大成建設、梓設計のグループによる設計に決まりました。
このコンペ優勝から白紙撤回の一部始終にたいし、言いたいことはたくさんあったでしょうに…。

実際、事業主体の日本スポーツ振興センター(JSC)から、デザイン費の未納代金を全額支払うのと引き換えに著作権を譲るよう要請されていたザハの事務所ですが、新しい設計案がコンペで勝ち取った当初の案に似ている(簡単に書いてしまいますが…)そう主張してこの件を拒否していたとか。

さて、このサイトでは昨年、ザハ・ハディドが設計した韓国・ソウルに建造されたDDP(東大門デザインプラザ)を紹介しました。
こちら

訪れたのはちょうど1年前。
東大門市場に隣接する、宇宙船のような奇抜な外観が目を引き(実際に目にしたら「目を引き」なんてコトバじゃ足りないぐらいのインパクト!)足を踏み入れたわけです。

外側はかなりトガッていますが、その内側は曲線が多用され、居心地がよく、人々の憩いの場となっていることに驚きました。

一度見たら、彼女のものだとわかる、あの独特なフォルム。
2004年には女性の建築家として初めての「プリツカー賞」を、今年に入ってこれまた女性建築家初で、RIBA(王立英国建築家協会)からRIBAゴールドメダルを受けた矢先だったのに・・・。

ザハ・ハディドの死去を伝えるBBC(WEB)の記事では、アートエディターのウィル・ゴンペルツが彼女の建築についてこう書いています。

「彼女の建築は非常に目立って官能的なラインを持ち、モダンで未来的だ。彼女はモダニズムに女性らしさをもたらした」

イギリスではDame(デイム、女性でナイトに相当する叙勲を受けた人の敬称)の称号を持つイラク人建築家のザハ・ハディド。
オリエンタルな雰囲気の彼女がよくお召しになっていた三宅一生の洋服など、個性的なファッションはその建築作品を見るぐらい楽しみでした。

どうぞ、安らかにお眠りください。

最後にDDPで撮影した写真をいくつか。

ザハならではの特徴的な曲線をいかした外観。
こんな個性的な建築物を宿す街って勢いがあるなーと思います。
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スロープの途中にあるソファでおしゃべりしている人たち。
憩いの場と化しています。
こんなふうにこの場を使ってほしいと設計者は考えていたんじゃないかな。
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DDPの最上階。
よく見るとこの写真に写り込んでいますが、この向かいは一面のガラスの壁。
自然光がたっぷり入ってきます。
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建物のデザインとマッチしていたお掃除カー。
これもアート!?
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見た目は奇抜ですが、ザハの建築にはやさしさを感じます。
そしてグラマラス。
そんな建物が暮らす街にあるって誇らしいこと。
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ダイナミックでスペイシー、そして官能的な曲線のフォルム。
日本にこの力強さに匹敵する建築は?
うーむ、すぐには思い浮かびません。

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